一度始めた行政サービスは、止められない?


今年(12年度)3月議会に敬老祝金給付条例の改正が上程されました。結果は賛成多数で可決となりましたが、一部議員の方より反対がありました。この条例はもともと78〜89歳までの人に月500円、年額6千円、90歳以上の方には月2000円、年額2万4千円が支給されていました。これを喜寿(77歳)1万円、米寿(88歳)2万円、白寿(99歳)以上については3万円の支給にしたいというものでした。

この事について福祉の後退と見るか、メリハリのある至急で本当に祝金としての趣旨にかなっていると思うか・・・。私は後者の立場を取るものです。78歳になれば、誰でも無差別に月500円、90歳以上の方には月2000円あげる事が(確かに楽しみにしている方もいたでしょうが)どういう意味を持つのか考えなければなりません。死亡すればもちろん出せない訳で、生死の確認、振込み業務等職員の手間隙も大変かかっていました。

議員の方の中には「長生きすればするほど減額になる、今までの至急に上積みすべき」という理論展開をなされる方もいたわけですが、ただ年齢だけで、無差別に支給することが福祉でしょうか?

高齢者の福祉医療にかかる費用というものは年々うなぎ登りになっております。介護保険導入に伴い、給付を受ける方々も負担はしますが、公費の支出も増大の一途をたどっていくでしょう。それも高齢化が進んでいる今日いたし方ないと思いますが、高齢者の方々への施策もその時代時代で当然変わっていかなければなりません。必要なところに必要な施策を行う、という観点に立てば、今回の敬老祝金条例の改正は理にかなったものと考えます。

一旦始めたらどんな事業も見直し出来ないとなれば、これは施策にかかる費用が増すばかりで、最終的には増税というところに行き着くわけです。少しでもその施策で利益を受ける人がいる限りどんなに不合理となった施策も永久に止められないとすれば、どうなるでしょうか。

行政サービスというものはどんな施策も無いよりはあった方がよいものです。しかしそれは皆さんから集められた税金によって賄われている事ですので、それだけの手間と費用をかけて、本当にやる必要があるのか無いのか、考えて欲しいのです。

行政サービスも生き物です。常に市民全体の利益と公正という観点に立って見直しは行っていかなければならないと思います。